佐佐木順子の半生

『36歳まで専業主婦だった私が
サロンオーナーになり、二万人を施術。
美塾と出合い、講師を育て、NHKでメイク番組を持ち、
サンフランシスコでメイク講演。
日本を駆け巡り
日本一美塾と日本一パナシアを伝える伝道師』

幸せな専業主婦を楽しんでいた36歳の私。
下の子が幼稚園に入る頃
綾ちゃんママ、帆波ちゃんママとしか呼ばれない自分に焦りを覚えるようになりました。
佐佐木順子さんと呼ばれたい!
私ができることで社会に役立ちたい!
と渇望していました。

願えばそんな人に出会えるものですね。

近所で体操教室が開かれるから行かないか?と友人に誘われ出かけて行ったのがすべての始まりでした。

その体操教室の先生は

『生きているのが楽しい!この仕事が大好き!』ということを体中から噴出しているみたいにパワフルでした。

私もこんな生き方がしたい!

半年習ったところで、講師にならないか?と声をかけていただき

導かれるまま、体操の講師になりました。

 ところが、三教室開いたところでぎっくり腰になり講師としての危機を迎えてしまいました。

途方に暮れているとその先生はこう言いました。

「私が治す!」

その先生はもう一つ仕事していました。

当時はまだ無名だったカイロプラクティックです。

施術してもらい見違えるように良くなりました。

すると先生は今度はこうおっしゃいました。

「カイロプラクティックを仕事にしてみない?この仕事は人助けよ。」

すると頭からつま先まで駆け抜けるように電流が走りました。

私の天命は人助けなんだ!!と分かった瞬間でした。

その後カイロプラクティックの資格を取り
やがて先生の右腕となり
リンパエステや足つぼの講師となりました。
それから独立して
2002年カイロプラクティック&エステサロン グランレーヴ
を仙台市青葉区にオープン。スタッフを抱え10年で
延べ二万人の施術をしました。お顔の歪みの矯正とフェイシャルで綺麗になる「小顔美人コース」が人気でした。

人にやるのは大好きでしたし、結果がすぐ出て喜ばれるので、やりがいを感じ日々サロンにカンヅメで朝から晩まで施術しました。

やがて、その小顔美人コースの最後にメイクしてあげたら喜ばれるだろう。

メイクを習いたい。と思うようになりました。

また

45歳を超えるあたりから、このまま老いて行く自分に対して
漠然とした不安を抱くようになりました。

一方、自分は面倒くさがりで自分に施すことは、スタッフを教育する以外ほとんどありませんでした。

メイクも特に興味がありませんでした。

普通にファンデーションを塗り、眉を描き、アイメイクをし、チークをつけリップを塗り、ビューラーもマスカラもひととおりしている。

でも老いは確実に忍びよってくる。

あと綺麗になるためには何があるんだろう?

シミ、シワがなくなって肌が白くなったら、
自分に似合うアイシャドウでグラデーションをつけ、綺麗にラインを引き、目尻につけまつげをつけたら綺麗になれると思っていました。

2008年2月11日
渋谷シダックスホールで行われたエステ経営塾。
そこで初めて美塾の内田塾長に会いました。
メイクモデルとして出て行った方があっという間に綺麗になった瞬間
目を奪われました。

私が感心して見ていると隣にいた方がこう言いました。

「私の方がメイクうまいわ」

えっ?と思って見たその方の顔は私には綺麗とは思えませんでした。
顔のつくりではなく顔から発するオーラが。。

このギャップに何があるか気づいたのは、美塾講師になってからでした。

自分の顔にダメ出しをして、ダメな部分をメイクで理想のパーツに近づけるのが一般のメイク。

自分の力で綺麗になる女性を増やしたい!と
教室と施術の日々。

講師を育てる側にもなり、仙台に講師が四人誕生しました。

 美塾もサロンも順風満帆だったそんな時

2011.3.11
東日本大震災を経験しました。
10階にあったサロンはめちゃめちゃになりました。 

ものというものがすべて壊れました。 

それから生活は一変しました。

全く仕事にならない日々。
物資調達や肩もみのボランティアに明け暮れる半年。 

メイクなんてなんの意味も助けにもならないと思い込んでいたある日 

ボランティアメイクをしていて
津波で家族が全員流され一人になり、毎日塞いでいるというおばあちゃんにメイクしました。

その方が自分の顔を見て私にこう言いました。

『これが私!?この顔を亡くなった姉に見せてやりたい。私のことをブサイクだブサイクだって言ってたから。』
とこぼれるような笑顔を見せてくれた時、

衣食住が整ったら、

女性は綺麗になることで立ち直ることができると確信したのでした。

明日の命は分からない。本当にやりたいことは何?

と自分の胸に聞いた時、本当にやりたいことは美塾の講師でした。

サロンを閉め
東京で美塾講師養成クラスをしているうちに教室をしてほしいとの声があり、東京で広がって行きました。

応援してくれる人と出会い
東京で仕事するようになりました。

 NHKでメイク番組を持ち、
サンフランシスコでメイク講演をし 

その後講師養成で名古屋に行ったのがきっかけで、名古屋、大阪、京都、そして青森にも教室ができ、2014年は一年で初級卒業者が250名様というペースで美塾の教室をやり続けています。

 今仙台に帰るのは月に7日ほど。

そんな折り、私がお世話になっている中野のサロンのオーナーのヨネリーヌ(米川昌枝さん。私がヨネリーヌと命名)が私にこう言いました。

『生き様をやるなら(佐佐木生き様継承合宿・・・世の中に自分のできることで貢献するために生きる軸を育む二日間の合宿を現在提供しています)
ナミさんの生き様を見た方がいいよ。』

ナミさんとは
日本にコーチングの基礎を持ってきたアメリカの腎臓内科医 小南奈美子医学博士です。

小南博士は世界中で様々なプログラムをリードし、延べ3万人とセッションしてきた経緯を持ちます。

まさかこの時、今後私がこのパナシアを日本一伝授することになろうとは思っても見ませんでした。

小南博士が提供するパナシア癒しのエクササイズを受けました。

私は自分がポジティブ思考で生きてきて、マイナス感情を感じた時、ポジティブに変換するか、感じないように蓋をしてきたことに気づきました。

生き埋めになったマイナス感情は、やりたくないのに自動的にやってしまう、
こうしたいのにうまくいかないなどの負のスパイラルを作り出すことで人の前進を阻みます。
心理学の知識も学ぶこともなくスピリチュアルな要素もない。
ロジカルで簡単に自分の思い込み、信じ込みをクリアにできる。
そうすることで勝手に行動、言動、生き様が変わるパナシアを世の中に広めたいと思いはじめました。

現在は日本を心身共に健全な国にするべくパナシアティーチャーを養成させていただいております。

人間のポジティブを育む美塾
人間のネガティブをクリアにするパナシア。

このネガポジを私は今、日本一伝えています。
人がみな自分の足で立ち、個人個人が発展するために。

振り返れば私は『これで人を助けられるか?』で仕事をしてきました。

はじめは自分の手が届く範囲。エゴが満足するくらいのスペース。
体操講師、カイロプラクター、エステティシャン。。
自分が手出しして喜んでもらえることに喜びがありました。

しかし
美塾メイク講師になって、やり方さえわかれば、人は勝手に自分で綺麗になれるということを知り、その範囲は広がって行きました。
でも女性だけ。
つまり日本の人口の半分。

パナシアを
男性にもつまり全人類に伝えることで日本を含みたい。
マイナス感情や思い込みをクリアにし、健全な心で生きる日本人が増えて欲しいと思っています。

佐佐木順子
美塾とパナシアで
『余』のため人のため
今日も一生懸命生きています。

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